「なにもの」でもないときに
- kicco
- 2019年8月15日
- 読了時間: 1分
私たちは必死に「なにもの」かになりたがります
憧れや強い思いや情熱や影響やこだわりやカルマや執着や思い込み・・・
外側から外堀を埋めて、そこの型に自分を当てはめて、少しぐらい窮屈でもつらくても、何だか思う感じじゃなくても・・・
「なにものか」になりたくて。
でも、それは必要な過程。
何ものかになってもいい、そこからはじまることがある。
すっかりなりきっていい。
でも、もし、行き詰った時、
強く強く違和感を感じた時、
「私」は「私」でいい、と。
「なにもの」でもない、
「わたし」は「わたし」でいい、
そう思えた時、
そんな風に思い、肩の力が抜けた時、
人生が変わります。
あなたの本当の人生が始まります。
あなたが生まれた時から求めていたものが、
目の前に現れます。
自分がずっと欲しくて欲しくて、のどがカラカラになるほど砂漠をさまよい続け探し求めたあなたがほしい宝が、本当は何かがとてもよくわかります。
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